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佐賀家庭裁判所 昭和40年(家)606号 審判 1966年3月31日

申立人(前遺言執行者) 大田行男(仮名)

申立承継人(現遺言執行者) 田中栄作(仮名)

事件本人 福田太郎(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

一、本件申立の要旨

申立人は「事件本人両名が福田ツユの推定相続人たることを廃除する」旨の審判を求め、申立の理由として次のとおり述べた。

(一)  事件本人福田太郎および事件本人福田三郎は、本籍佐賀市○○町大字○○一一九四番地福田ツユと亡福田松吉との間の長男および三男として出生した嫡出子であるが、その母福田ツユは昭和四〇年七月二一日佐賀地方法務局所属公証人今池喜代美作成の第一七二一四号遺言公正証書をもつて事件本人両名を推定相続人から廃除し、申立人を遺言執行者に指定したところ、右遺言は昭和四〇年九月一九日遺言者の死亡により効力を生じた。

(二)  前記遺言書に記載する廃除事由は次のとおりである。

遺言者の長男福田太郎および同三男福田三郎はいずれも遺言者の近隣に居住しながら

(イ)  老齢の遺言者を遺棄して近寄らず

(ロ)  遺言者の居住居が昭和三九年五月火災にあつた際、近隣や親類の殆んどが見舞救援に来たにも拘らず上記両名は見舞にも来ず遺言者に重大な侮奪を加え

(ハ)  その後遺言者が病気入院した時も見舞、看病をせず遺言者を遺棄虐待した。

よつて遺言執行者たる申立人は前記遺言を執行するため本申立に及んだものである。

二、当裁判所の判断

(一)  申立の要旨(一)記載の事実は、本件記録編綴の戸籍謄本三通、除籍謄本一通および佐賀地方法務局所属公証人今池喜代美作成の第一七二一四号遺言公正証書謄本により認めることができる。

(二)  さらに当裁判所調査官秋山恒逸作成の調査報告書の記載、当裁判所の本件申立人、事件本人両名、参考人下田ヨシコ、同福田啓一、同村山昌子、同福田典子、同福田道子、同原田俊男に対する各審問の結果を綜合すると次のような事情が認められる。

すなわち、被相続人福田ツユは福田松吉と結婚後、家業である農業に従事、田地四町歩を耕作していたが、事件本人ら一二人の子をもうけた。事件本人福田太郎は旧制農学校卒業後、父母と共に農業に従事、昭和九年に満州に渡り、事件本人福田三郎も旧制中学校卒業後昭和七年渡満それぞれ妻帯独立の生活を営んでいた。

昭和一九年前記福田松吉が死亡、その後は被相続人と四女昌子、六女典子、七女道子の四名で農地を耕作維持していたところ、今次戦争終結により昭和二一年事件本人福田太郎が、昭和二二年事件本人福田三郎がそれぞれ家族を伴い、被相続人の許に引揚げ、それぞれ農業を手伝つていた。

ところが、このように被相続人宅は急に大家族となつたため、間もなく同居家族間の緊張感がたかまり、特に被相続人や前記昌子、典子、道子らと事件本人両名の妻との間の不和がこうじて事件本人両名と母、妹らとの間が不仲となり、事件本人両名は昭和二三年相前後して被相続人宅を出て、それぞれの妻子と共に独立生計を営み、現在は事件本人福田太郎は佐賀食糧事務所に勤務同福田三郎は菓子製造業を営んでおり、一方被相続人は死亡時まで前記典子、道子と同居して一町九反の農地を耕作していた。

しかして、事件本人らが被相続人と別居後時折同人宅を訪れることがあつても被相続人に財産目当に気嫌とりに来たと言われたりして、ことごとに疑いの目でみられることを意識していた。

事件本人らが被相続人と別居するに至つた事情が前記のとおりであるため、事件本人両名と被相続人間が疎遠となり、被相続人の住宅が昭和三九年五月火災焼失した時も、或いは火災後被相続人が貧血症で約一週間入院した際も前記事情から被相続人を見舞うことをしていない。

(三)  以上認定した事情のもとにおいては、事件本人両名が被相続人に近寄らず火事見舞、病気見舞をしなかつたことも、あながち事件本人両名の責にのみ帰せられるべきではなく、被相続人の行為もその原因の一端をなすことがうかがえるし、これをもつて直ちに事件本人が被相続人を遺棄し或いは虐待し又は重大な侮奪を加えたものとは認められない。

(四)  そうだとすれば、事件本人両名には民法第八九二条にいわゆる「被相続人に対して虐待し、もしくはこれに重大な侮奪を加えたとき又は推定相続人にその他の著るしい非行があつた」ものと認める事情は存しないと言うべきである。

よつて本件申立は理由がないから主文のとおり審判する。

(家事審判官 弥富春吉)

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